矢谷古墳
やだにこふん
概要
S53-12-035[[矢谷古墳]やたにこふん].txt: 矢谷古墳は、[[三次]みよし]盆地に東から流れ込む馬洗川の南側に発達した低丘陵の上に営まれた特殊な形態の古墳である。三次工業団地の造成に伴って発見され、昭和52年広島県教育委員会が発掘調査したものである。
本古墳は、四隅突出型前方後方形というべき平面を示す。墳丘は地山の整形加工と盛土によって構築され、周囲に墳形に従った溝を掘り込んでいる。墳端に列石、墳丘斜面に貼石状の葺石をめぐらせている。前方部を南西に向けていて、主軸長18.5メートル、前方部長6.0メートル、後方部長12.5メートル、周溝を含めた全長22.6メートルを測る。隅の突出部分は各々削り出して整形されている。東側の墳丘裾部と周溝からは、丹塗りの大形特殊器台・壺が多量に出土し、また、くびれ部では、これらの特殊な土器の他に、鼓形器台・高坏・注口付壺等の古式土師器が出土している。
後方部の中央には、特に大きな方約4メートルの墓〓(*1)をもつ組合式木棺とみられる主体部がまず設けられ、このうちに朱の散布、碧玉製管玉多数が検出された。これに次いで周囲に箱式木棺5、割竹形木棺1、箱式石棺2、土〓(*1)墓2の計10例の埋葬が行われている。これらの中には刀子や〓(*2)等を出土したものがある。なお、中心の埋葬上には、礫群、鼓形器台・注口付壺・低脚杯・特殊器台等の断片が落ち込んでいた。
次にこの古墳の西側に、半ば崩壊した形で南北2基の方形周溝墓があり、各々1辺9.5メートル、6.9メートルを測る。北側の周溝墓からは、組合式木棺等の7基の埋葬が認められ、内部からガラス玉が採集されたものもある。南の例では土〓(*2)1が確認されている。さらに古墳ののった丘陵の東斜面には、古墳時代の須恵器を焼いた窯跡1基が西向きに築かれている。
以上、矢谷古墳は特殊な墳形を示し、仲仙寺古墳群をはじめとして山陰地方を中心に発見されている四隅突出形の古墳との関連を示しており、また、多数の埋葬が行われている点等で古墳として特殊なものであるが、一方古式土師器の出土、前方後方形の平面、大形墓〓(*2)をもつ後方部中央の被葬者の埋葬に伴って形成されたものと考えられる点等、古墳としての一般性もある。本古墳は、強い地域性を示していて、古墳時代の始まる頃の具体相として、地域社会をうかがう上で、また古墳が形成される全国的な政治上の推移を知る一例として重要なものと考えられるので指定するものである。