会津新宮城跡
あいづしんぐうじょうあと
概要
会津新宮城跡は、福島県西部、会津盆地北西部に位置し、中世における有力国人新宮氏の城館跡である。新宮氏は鎌倉末期に新宮荘地頭として土着し、14世紀末以降、新宮氏は、のちに戦国大名に成長する蘆名氏との間で度々争いを起こした。応永22年(1415)以降には新宮氏と蘆名氏が合戦し落城し、新宮氏は蘆名氏に滅ぼされた。
城跡は大規模な方形居館(ほうけいきょかん)の主郭を中心とし、さらにこれを囲む外郭からなる。主郭の内側は東西100から120m、南北120から130mの規模であり、その周囲に幅15から20mの堀がめぐり、堀の内側には幅7から8mほどの土塁が伴う。外郭は、南北は東西に流れる小河川、東西は河川の間をつなぐ人工の堀により画され、東西約480m、南北約440mの規模となる。発掘調査で出土した遺物には奢侈品(しゃしひん)があり、東北地方では少ない土師器皿(かわらけ)がまとまっていることは、城跡の性格を示唆する。また、14世紀から15世紀前半のものが中心となることは、記録から知られる新宮城の盛衰と一致する。鎌倉時代から室町時代にかけては、平地の方形居館が領主の拠点となることが知られているが、新宮城跡はそのなかでも関連する文献史料も存在し、具体的なあり方がうかがえるとともに、規模が大きく全体の保存状況も極めて良好であり、貴重な遺跡である。