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白米の千枚田

しろよねのせんまいだ

概要

白米の千枚田

しろよねのせんまいだ

名勝 / 中部 / 石川県

石川県

輪島市白米町

指定年月日:20010129
管理団体名:輪島市(平19・11・12)

史跡名勝天然記念物

 白米の千枚田は、輪島市街地の東方約8kmに位置する高洲山(別名小富士山、標高425m)から、北の日本海岸に向かって下がる急傾斜の斜面上に展開する棚田地域である。棚田は、白米の集落から海岸線にまで至る高低差約50mの地域に展開する。この地域の海岸地形には、石英粗面岩を主成分とする海食崖の間を縫うように、急峻な傾斜面からなる地すべり地帯が卓越している。白米の千枚田は、このような特有の地質構造と密接に関係しつつ発展し、稲の生産の場であるとともに地すべりを防止する機能をも同時に果たしてきた。
 白米の集落の起源は16世紀以前に遡るともいわれているが、記録からその存在を確かめ得るのは17世紀以降のことである。寛永12年(1635)の記録には、百姓7軒のほか塩士5軒があり、塩釜5基を据えて塩1,295俵を生産したことを伝える。貞享元年(1684)に発生した大規模な地すべりによって水田の大半が失われたが、19世紀半ばになって徐々に水田は回復した。明治12年(1879)の白米村内の土地利用を示した絵図によると、ほぼ現状の畦畔に近い水田の形状が完成していたことがうかがえる。
 白米の千枚田は田面数約800、一枚あたりの平均面積が18~20m2と極めて小さな区画の水田が集積し、畦畔の法面が土坡で造られているところに顕著な特徴がある。それらを反映して、蓑の下にも隠れてしまうほどの小さな水田を、驚きと感慨をもって詠った次のような古謡が残されている。
 「田植えしたのが九百九十九枚 あとの一枚蓑の下
 越中富山は田どころなれど 能登は一枚千枚田
 二百十日も事なくすんで 婆さ出てみて南無阿弥陀 爺さ出てみて千枚田」
 千枚田の景観には奥能登地方において長年月にわたって積み重ねられてきた厳しい労働のあり方がうかがえるとともに、日本海の風景を背景として海岸線にまで及ぶ急峻な傾斜面に小区画の水田が重畳する姿はまことに美しく、水上勉をはじめとする多くの文芸作品や写真等の題材ともなってきた。畦畔を伝い歩くことによって得られる水田と海浜の変化ある展望風景は、白米の千枚田特有のものである。
 また、白米の千枚田には、通常水田に多く見られる多様な昆虫や植物が生息し、周辺の自然地域を含めた生態系の維持にも効果を果たしている。
 奥能登地方では、近世以来、両時国氏という豪農によって水田開発が進められたが、一方では小農たちが乏しい労働力を永年にわたって投じ、千枚田のような棚田を営々と築き上げてきたのである。この意味において、白米の千枚田は、両時国氏に伝わる建造物や庭園などとともに近世奥能登地方を代表する資産群であり、この地方特有の地形と生業とが結びついて形成されてきた顕著な文化的景観といってよい。よって名勝に指定し、保護を図ろうとするものである。

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キーワード

棚田 / 水田 / 地域 / 景観

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