明王院五重塔
みょうおういんごじゅうのとう
概要
明王院五重塔 一基
明王院はもと常福寺と呼ばれ、律宗に属し、西大寺の末であった。その草創は大同二年(八〇七)と伝えるが明らかでない。元和年間(一六一五~二四)水野勝成が福山入国後、寺籍を移してここをを明王院とした。
五重塔はその伏鉢の刻銘により、貞和四年(一三四八)十二月十八日九輪を上げたことが明らかである。和様の五重塔として形態がよく整い、室町時代初期を代表するものである。心柱は二重目で止まり、初重の四天柱内に須弥壇を設け、大日如来(平成五年の調査で弥勒菩薩に名称変更)と不動明王・愛染明王とを安置している。この塔において特に注目すべきものは内部の壁画であって、壁には真言八祖の行状絵伝を、四天柱には金剛界の三十六尊を描き(中尊と合わせて三十七尊)、そのほか側柱、長押まですべて絵で荘厳されており、後補の扉と来迎壁とを除いては、よく建立当初の装飾を伝えている。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)