手綱を持つチェルケス人
たづなをもつちぇるけすじん
概要
手綱を持つチェルケス人
たづなをもつちぇるけすじん
ドラクロワが描いた東方的主題の作品は、他の追随を許さぬ独創的な成果として知られている。東方趣味はナポレオンがエジプト遠征を行ってからヨーロッパに広まり、19世紀前半にロマン主義絵画のテーマと相俟って流行した。チェルケス人はヨーロッパとアジアの境といわれるカフカス山脈の麓、北カフカス地方の黒海沿岸に住む民族で、中世には奴隷として多くの人々がイスラム諸国へ流出した。マムルーク(奴隷軍人)として重用され、エジプトのマムルーク王朝を建てたことは有名である。本作は、よどみのない自由で流れるような筆致、空のピンクとブルーの色調、小画面ながら宝石のような色彩の輝きは、画家の後期に見られる様式上の特徴をよく示している。この絵は以前「マムルーク騎兵」と呼ばれ、確たる論証もなしに1828年から1835年頃の間に描かれたものとされていた。しかしながら、一般的にマムルークは回教徒のターバンを着けているものである。実際、ドラクロワ、ジェリコー、グロ、カルル・ヴェルネなどの初期作品にはそのような姿で描かれている。また、チェルケス人としての人物の特徴は、たしかに描写に反映されているのだが、空想の要素も衣服に絡み付いていて、確信をもってチェルケス人と見なすことにも不安が残る。そのような意味で、本作はドラクロワが1832年前半に北アフリカ諸国を随行訪問した取材で得た映像の記憶をたぐりながら創作をした図なのであろうという推測が成り立つ。ドラクロワの晩年にあっては、この作品の様式に見るように、東方的な衣装を描く際、そこに独自の芸術的創造を付け加えることに心を奪われていたからである。本作と同じ構図で1858年4月9日の日付が記されている素描があるが、これは油彩画を描く前の準備段階で作られたものと見なされ、本作が1858年頃の制作であることの有力な証拠となっている。
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