紙本金地著色藤花図〈円山応挙筆/六曲屏風〉
概要
円山応挙(一七三三~一七九五)は、明和の三十代半ばごろより次第に写生に立脚した生新な作風を打ち出し、万物ことごとくその状を写さざるはなく安永・天明・寛政と晩年に至るに及びいっそう装飾味を加えて写生との調和に力をそそぐなど、平明でわかりやすい独自の画風を確立した。本図は、大画面に抑揚をつけ奥行きを感じさせるなど写生と装飾性とが巧みに生かされ、応挙の並でない技量がうかがえる。款記の安永丙申はその五年で応挙四十四歳に当たる。
円山応挙(一七三三~一七九五)は、明和の三十代半ばごろより次第に写生に立脚した生新な作風を打ち出し、万物ことごとくその状を写さざるはなく安永・天明・寛政と晩年に至るに及びいっそう装飾味を加えて写生との調和に力をそそぐなど、平明でわかりやすい独自の画風を確立した。本図は、大画面に抑揚をつけ奥行きを感じさせるなど写生と装飾性とが巧みに生かされ、応挙の並でない技量がうかがえる。款記の安永丙申はその五年で応挙四十四歳に当たる。
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