黒丸踊
くろまるおどり
概要
この芸能は、もとは長崎県大村市の大村神社の大祭等に奉納されてきた豊年感謝、あるいは祈願の踊で、有馬貴純に追われた大村純伊が流浪七年の末めでたく大村に帰郷した時、祝賀の踊として中国浪人法養が土地の人々に伝えたものと言われている。
踊の次第は、まず、腹に大太鼓をつるした、重さ十数員もの放射状の巨大な花輪を背にした者(四人)と、大薩摩黒丸踊としたため旗を背にした者(二人)とが、掛け声勇ましく場所を定め、武士姿に扮した子供の踊り子(八人)と鼓、三味線、笛、地太鼓の囃子方とを中に入れて、所定の位置につく「入羽」。続いて「小踊」「三味線踊」が演じられ、終わると花輪を回しながら大太鼓を打ちつつ練り歩いて他へ移動する。
太鼓打ちの花輪が依代【よりしろ】として特徴のあるものであり、土地の老若男女が花輪の下を出入りして幸を願う風習があるなど、地方的特色のある風流の踊である。
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