禅寺丸柿
ぜんじまるがき
概要
登録対象は神奈川県川崎市麻生区の王禅寺に生育する禅寺丸柿の原木と,同地域に植栽されている古木6本である。カキノキは日本各地に植栽される果樹である。本州(西部),四国,九州,済州島,中国の山野に自生するものはヤマガキと呼ばれている。古代から家の近くに植栽されていた記録があるが,当時のものは渋柿で干し柿等に利用されていたと考えられている。
禅寺丸柿は日本最古の甘柿といわれ,鎌倉時代、順徳天皇の建保2年(1214年)に、王禅寺の星宿山蓮華院再建に際し、山中に自生しているものを発見したといわれている。美味で豊産のため次第に栽培者が増加し、徳川時代にはこの地に相当数栽植されていた。明治42年には明治天皇に献上され,明治末から大正にかけて禅寺丸柿の出荷が最盛期を迎え,大正10年に柿生村では生産量が938トンに達した。戦後の昭和25年頃でも東京、神奈川の両県で450haの栽培面積があった。
現在,駅名となっている柿生という地名の由来は,1889年に市町村制が施行された際,当時の都築郡の10箇村が合併してできた柿生村である。この10箇村の中には柿生という地名はないものの,この地域で禅寺丸柿を多数栽培していたため,この名称になったという。
江戸時代から明治時代にかけては農家の貴重な収入源として重要な役割を果たし続けた。戦後も生産が続けられてきたが,新たな品種の台頭,栽培地周辺の都市化などから徐々に生産は減少した。現在でも激減しているとはいえ禅寺丸柿の古木が各地に残され,流通販売には載らないものの食用に供されている。現在では果実生産より受粉樹や台木として利用されている。
禅寺丸柿は江戸時代から明治時代にかけて多く生産されたものであるが,地域では地名になるほど重要なものであり現在も親しまれていることから,登録記念物として保護を図るものである。