宮の前廃寺跡
みやのまえはいじあと
概要
S43-12-013[[宮]みや]の[[前]まえ]廃寺跡.txt: 山陽本線福山駅の北東約4キロ、八幡神社のある丘陵南斜面中腹に位置する奈良時代の寺院跡である。
昭和25年および42年の発掘調査で、東に塔、西に金堂を配したいわゆる法起寺式の伽藍で、塔跡は一辺12.7メートル、高さ1.2メートル、金堂跡は東西24.9メートル、南北14メートルであることが確認された。いずれも〓(*1)積の基壇でその残存状況も良好である。
出土遺物には、軒瓦・〓(*1)仏のほか「紀臣和古女」「紀臣石女」「栗栖君」「粟麻呂」などの文字瓦がみられる。
遺跡地は、「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」にみる備後深津庄、あるいは「日本霊異記」の深津市に比定されている地域であり、遺物・遺構のほか立地の背景などからも貴重な遺跡といえる。