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キウス周堤墓群

きうすしゅうていぼぐん

概要

キウス周堤墓群

きうすしゅうていぼぐん

史跡 / 北海道 / 北海道

北海道

千歳市中央

指定年月日:19791023
管理団体名:千歳市(平21・8・27)

史跡名勝天然記念物

 北海道の道央部・勇払平野から石狩平野にかけての低地帯の東寄り、馬追丘陵の西側にキウス周堤墓群がある。この遺跡は、大正13年に河野常吉が「キウスのチャシ」として学会に報じ、昭和5年には内務省が史跡に仮指定したことがある。昭和25年頃、その一部(第7号)で石柱が発見され、河野広道が調査し、石柱を伴う墓壙一を確認している。このころからこの種の遺跡は「環状石籬」と関連させて「環状土籬」と呼ばれるようになったが、この呼称は近年の研究成果により適切でないとされるに至っている。昭和39~40年には、千歳市教育委員会による発掘調査が行われている。
 この遺跡は、東側の丘陵から長都沼にそそぐ小河川の南岸に7基、北岸に1基、及びその西南方3キロメートルほどにわたる広い範囲に6基、合わせて14基の環状の周堤が存在していたもので、その内10基は顕著な景観をなして現認される。周堤は大小があるが、外径最大例75メートルから最小例18メートル、周堤幅数メートルから約20メートルに及び、高さは周堤内部から掘りとった土を積んだものである。周堤は互いに接しているものもあり、また周堤の一部が低くなるものもある。このうち第一号「環状土籬」の内部に設定されたトレンチ発掘調査で土壙墓5が検出された。墓壙は長径1~2メートルの長円形のもので、立石等や小穴を伴うものがあり、その一部からは遺体の一部の遺存が認められている。さらに土壙上には多数の土器片が認められた。これにより先述の第7号の成果と合わせて、周堤内に多数の墓が営まれた集合墓の一種であることが明らかとなった。また、周堤外辺でも墓壙が確認されている。
 墓壙内外からの出土品は繩文時代後期末~晩期初頭に属する土器や石棒等であり、この遺跡の造営年代を示している。
 この種の遺跡は、北海道内で相当数が知られ、しかも一遺跡で複数の周堤とその内部に多数の土壙墓がある例が多いもので、時期的に繩文時代後・晩期に営まれたものである。それらの遺跡の内でキウス周堤墓群は最も多数の周堤墓群は最も多数の周堤が集合し、かつ個々の規模も大であり、全体規模も最も広大なもので、道内における「環状列石」や通常の土壙墓と共通する点を有し、ひいては本州以西の「環状列石」等とも関連する点をもつものである。

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キーワード

/ 環状 / 列石 / 遺跡

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