普門寺庭園
ふもんじていえん
概要
S53-06-035普門寺庭園.txt: 普門寺は説厳和尚を開祖とし室町時代初期に創始された禅宗寺院で、はじめ蘭溪派に属し、後に竜安寺末寺に属する。
現在残る建築は江戸時代初期の遺構と思われる表門と方丈である。庭園は方丈の西側北寄りに位置し、正保頃の寺観整備にともなって作庭されたもののようで「大雲山誌稿」によれば玉渕を作者とする。
地形は多少の起伏があり、低い所を水面、やや小高い所を岸または島にみたて、要所に石を組み、石橋を架したまとまりのよい枯山水庭であり、玉渕の作風を知る上で貴重である。
H10-12-057[[普門寺庭園]ふもんじていえん].txt: 普門寺庭園は、高槻市南西部、淀川に北から流入する芥川の西方約2キロメートルの市街地にある。江戸時代初期の作庭と推定される優秀な枯山水庭園として、昭和56年に名勝に指定された。このときの指定範囲は、庭園自体とその北側、西側の背景をなす土塁に画された区域である。
今回追加指定をしようとする範囲は、庭園に面し、庭園鑑賞の場である方丈(重要文化財、昭和52年指定)ほか江戸時代寺院隆盛時の状況を伝える山門、毘沙門堂(旧行者堂を再建)、隠元禅師作と伝えられる黄檗式石畳、寺院境内を画す中世普門寺城の遺構とみられる土塁等を含め、庭園を取りまき風致景観のうえで一体となっている区域である。この追加指定により、貴重な庭園を良好な環境のもとで永く保存しようとするものである。