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旧安部家住宅と屋敷

きゅうあべけじゅうたくとやしき

概要

旧安部家住宅と屋敷

きゅうあべけじゅうたくとやしき

江戸 / 明治 / 大正 / 東北 / 山形県

山形県

安政元年(1854)から明治・大正

安部家は県道湯野沢寒河江線を挟んで、堀米四郎兵衛家(現紅花資料館)と対面して建っている。東西85m・南北62m、約5,270㎡の広い屋敷地を、板塀と屋敷林が取囲み、入口には高く火番小屋が立ち上がり、その奥にでんと構える表門は、安部家の威容を引き立てている。門を入ると中央に南面して、寄棟造り、茅葺屋根を特注のトタン板が覆う主屋がある。主屋には北に座敷蔵が付属し、東には来客用の新座敷が続いている。これらの建物は、建築年代がはっきりしており、安政元年(1854)から明治・大正と、その時代の最高の資材と技術の粋を集めて建てられたものとされている。それが当時のままの姿で今日に伝わっているものである。

敷地内全体

山形県西村山郡河北町谷地字沢畑ヘ889

河北町指定
指定年月日:20150528

有形文化財(建造物)

安部家は宝暦7年(1757)頃に、村内の八兵衛家から分家した、初代権内に始まる。権内は昼夜を問わず働き土地を集め、家の土台を築き、四代の文化・文政年間(1804~29)頃には、大地主の一人に成長する。そして明治6年(1873)の立附米調査では、2,386俵余の年貢米を集める、村山郡内第四位の巨大地主として辺りに知られる存在となる。現在、私たちが目にする安部家の住宅や付属する建物、それを取り囲む広大な屋敷などは、その当時の姿を伝えている。安部家が伝えているものは建物や屋敷ばかりではない。同時に、民具・芸術品・古文書(約1万点余)もそのまま保存され続けてきた。江戸時代から続く庄屋・豪農などの大規模な屋敷や建物が、諸般の事情によって、惜しまれながらも次々と姿を消しつつある中で、安部家が建築当時のままの姿で今日まで残っていることは、稀有な事例と言ってよい。

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キーワード

広瀬 / / 座敷 / 山形

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