八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲
やはたこひょうじんじゃのくぐつのまいとすもう
概要
三人遣いの人形芝居として知られる人形浄瑠璃文楽を頂点とする日本の人形戯の伝統は、全国各地にその発展過程を暗示させる諸形態の人形戯を残存させてきているが、これらの中でも奈良・平安時代から活躍をはじめている傀儡子は、日本の人形戯の源流として注目されている。この源流をうかがわせる傀儡子系の人形戯が、いまも福岡県の八幡古表神社と大分県の古要神社に伝承されており、日本の芸能史の上で極めて貴重な存在となっているので、これを重要無形民俗文化財に指定し、その保存をはかる。
古く宇佐八幡宮の放生会【ほうじようえ】が和間の浜の浮殿で執行されていた時、宇佐八幡宮の末社である古表、古要の両社からそれぞれ傀儡子を船に乗せ、海上から浮殿に向かって傀儡子の舞を奉納したといわれている。応永二十七(一四二〇)年、元和三(一六一七)年に放生会が復活されているが、その後は打ち切りとなり、現在は八幡古表神社の単独の行事として伝承されてきている。開催は四年に一度(次回は昭和五十九年)で、八月十、十一、十二日のうち、午前中に潮の満ちる日を選んで、山国川河口の喜連島【きつれじま】の港から御輿を船に乗せて沖合に出て、放生会御神幸を行い、その海上で傀儡子の細男舞・神相撲を奉納し、その夜は神社境内の神舞殿でも奉納が行われる(なお、毎年八月六、七日に、人形の衣裳を虫ぼしする「おいろかし」の行事があるが、この時にも七日に細男舞・神相撲を奉納することになっている)。
傀儡人形は、神像型人形と相撲型人形に分けられ、前者は細男舞あるいは神舞と呼ばれる舞を演じ、後者は神相撲あるいは相撲と呼ばれる演技を見せる。
神像型人形は男神と女神に分れるが、いずれも一木造りで、胴体の下部が細くなり、遣い手はその部分を握って人形を遣う。両手は肩先に釘で取りつけられ、その両手に紐をつけて引っ張ることによって両手を上下に動かすことができるようになっている。これに神衣と呼ばれる人形衣裳をつけて舞わすのである。
囃子は笛・大太鼓・鉦で、神職が神名を呼び上げると、東西の楽屋からそれぞれの神名の神像型人形が一体ずつ登場し、一礼ののち両手を振り、また一礼をして楽屋へ戻る。この神舞が十番行われるが、このうち三番目の舞だけは奏楽なしで神歌(細男の唱歌)が詠み上げられる。これが細男舞といわれている。
神像型人形の舞に続いて演じられるのが相撲型人形の神相撲である。この相撲型人形も一木造りであるが、片足だけが長く作られていて、遣い手はそれを握って人形を遣う。いま一方の片足は股間に釘で打ちつけ、両手も肩に釘で打ちつけられている。この両手と釘で打ちつけられた片足にそれぞれ紐がつけられ、それをまとめて引くと両手と片足が動いて相撲をとっているようにみえる。諸神がそれぞれに取り組み、はじめは東西交互に勝つが、やがて西方が連敗する。最後に残った小兵の住吉神(くろうの神)が東方の神々を次々と破る。最後には住吉神に対して、東方の十神が飛びかかって押合いになるが、これも住吉神に押し負けてしまう。
傀儡子の舞と相撲の芸態そのものは、比較的単純であるが、その呪術的内容と人形の構造や操法には、他に類例をみない古格がうかがわれるのが貴重である。