安政伊賀上野地震供養塔
あんせいいがうえのじしんくようとう
概要
嘉永7年(1854) 6月14日に発生した伊賀上野地震における野間村の横死者35人を埋葬した場所に、安政7年(1860)3月に7回忌追善法要として建てた供養塔である。
当時、野間村には字東谷615番地に浄土宗の空照山慶明寺と、字上出660番地に天台眞盛宗の平楽山西雲寺の2か寺があり、慶明寺の檀徒26人と、西雲寺の檀徒9人が横死し、合わせて35人がこの地に埋葬された。
あんせいいがうえのじしんくようとう
嘉永7年(1854) 6月14日に発生した伊賀上野地震における野間村の横死者35人を埋葬した場所に、安政7年(1860)3月に7回忌追善法要として建てた供養塔である。
当時、野間村には字東谷615番地に浄土宗の空照山慶明寺と、字上出660番地に天台眞盛宗の平楽山西雲寺の2か寺があり、慶明寺の檀徒26人と、西雲寺の檀徒9人が横死し、合わせて35人がこの地に埋葬された。
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