鴟尾
しび
概要
本件は、滋賀県山(やま)ノ神(かみ)四号窯跡から出土した飛鳥時代の鴟(し)尾(び)四個である。
山ノ神遺跡は滋賀県大津市(おおつし)一(いち)里(り)山(やま)三丁目字山ノ神に所在する。琵琶湖(びわこ)から流れる瀬田川(せたがわ)の東側、瀬田丘陵から延びる尾根に立地し、標高百十二メートル前後を測る。
昭和五十五年度~昭和五十九年度(一九八〇~一九八四年度)の範囲確認調査で工房跡と一・二号窯跡、昭和六十三年度~平成元年度(一九八八~一九八九年度)の京滋バイパス建設に伴う調査で三号窯跡と灰原が調査された。さらに、平成十三年度~平成十五年度(二〇〇一~二〇〇三年度)の確認調査で、四号窯跡から鴟尾四個が出土した。これらの調査によって、四号窯が七世紀中頃~後半、一~三号窯が七世紀後半に操業した須恵器窯であることが判明した。なお、山ノ神遺跡は古代の製鉄遺跡である草津市野(の)路(じ)小(お)野(の)山(やま)遺跡・大津市源(げん)内(ない)峠(とうげ)遺跡とともに、「瀬田丘陵生産遺跡群」として平成十七年(二〇〇五年)に史跡に指定された。
山ノ神四号窯は全長約十四メートル、焼成部の幅約一・六メートルの窖窯で、七世紀中頃に須恵器を焼成中、後半部の天井が崩落した。その後、窯の前半部を再利用して鴟尾四個を焼成する。しかし、再度天井部が崩落し、鴟尾は未完成のまま残された。鴟尾は焚口から見て最も奥に並列して二個、その手前に一個、焚口寄りに一個が置かれ、角材を梯子状に組んだ台に乗せられていた。
四個の鴟尾は天井崩落時に破損していたが、ほぼ完形に復元できる。大きさと意匠はほぼ共通する。鰭部には多くの鴟尾に認められる段差加工を施さず、粘土紐の貼り付けによって区画し、五~六個の粘土粒を貼り付けた連珠文で装飾する。全体に丁寧なナデとハケ目を施すが、部分的に同心円文の当て具痕跡と平行タタキが認められ、鴟尾の製作に須恵器の製作技法が応用されたことを示す。また、頂部の突起は接着が弱く、中心に孔が穿たれることから、垂れ飾りを結ぶなど、完成後の儀礼に用いられたと考えられる。ただし、山ノ神遺跡の周辺では古代寺院などの良好な調査事例が少なく、鴟尾の供給先については不明である。
飛鳥時代の鴟尾は各地の寺院跡から破片が多数出土しているが、全体像を復元できる資料は極めて少ない。本件は、鴟尾の全体像が四個すべて判明した良好な出土例で、寺院の伽藍装飾の具体像や、古代窯業生産の実態を知る重要な資料である。なお、四号窯跡では鴟尾と同時に三点の須恵器も焼成された。器種は坏A身、坏B蓋、坏B身で、飛鳥(あすか)Ⅲ式期に位置づけられる。鴟尾の製作年代を示す遺物であり、附として保存を図りたい。