旧造幣寮 きゅうぞうへいりょう

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その他 / 明治 / 近畿 

大阪府
明治時代
大阪府大阪市
指定年月日:20150909
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

【答申】
造幣寮は、明治4年2月に創業された。近代的造幣工場の建設は、新国家の形成に欠くことのできない施設として、すでに慶応4年、政府が直営を決定していたものである。当時、たまたま英国が香港に設立した造幣局が閉鎖されたので、明治元年11月、政府は長崎の英国商人ガラバを通じ、英人ウォートルス(T. Waters)を雇入れ、工事の設計監督にあたらせ、工場の建設をはじめ、3年2月には、前同局々長キンドル(T. William Kinder)を長とする7人の外国人を雇入れ、機械の据付けをはじめた。
かくて、4年2月落成とともに、創業式をおこない、右大臣三條実美以下の政府要人、各国公使が参列した。また、この年「造幣寮定則」を定め、「新貨幣條令」を公布し、金銀貨の鋳造をはじめ、さらに「造幣寮職制」によって、造幣頭以下職工、外国雇人にいたるまでの陣容を整え、造幣首長(作業部長)にはキンドルが任ぜられた。ついで5年6月、明治天皇が行幸し同寮応接所を行在所とし、これを「泉布観」と命名した。6年には銅貨鋳造工場が完成している。
かくて生産も軌道にのり、10年1月には「造幣寮」を「造幣局」と改称した。また、この頃より外人技師も次第に帰国し、8年キンドル以下の契約解除にはじまり、22年マクラガン(R. Maclagan)の解雇をもって、ようやく日本人みずからの手で操業しうる態勢が確立した。そして、内閣官制施行のあと、19年に「造幣局官制」が制定され、これをもって新転機を迎えるのである。
この官制で、造幣局の業務は貨幣製造と定められたが、それまでは、同局の工業水準は日本の一般的水準をはるかに越えていたので、造幣に…

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