高安千塚古墳群
たかやすせんづかこふん
概要
大阪府八尾市に位置する高安千塚古墳群は,生駒山系の高安山麓に造られた6世紀代を中心とした大型群集墳で,224基が確認されている。谷筋によって北から大窪(おおくぼ)・山畑(やまたけ)支群,服部川(はっとりがわ)支群,郡川北(こおりがわきた)支群,郡川南(こおりがわみなみ)支群の4つの支群に分けることができる。明治時代にはモースやガウランドによって調査されるなど,日本考古学の創世期に大きな役割を果たした学史的に著名な古墳群でもある。
この古墳群は6世紀から7世紀前半にわたって造営され,最も多く古墳が築造されたのは6世紀後半である。ほぼ全てが円墳で,埋葬施設は横穴式石室であるが,造墓開始期にはドーム状天井の石室が認められるとともに,韓式系(かんしきけい)土器やミニチュア炊飯具(すいはんぐ)といった副葬品の出土など,渡来系(とらいけい)集団との関わりがうかがえる。
こうした状況から,高安千塚古墳群の麓に広がる河内平野に居住した渡来系集団と地域社会との関係をうかがうことができる古墳群であり,我が国の古代国家形成過程を考える上で,欠くことのできない重要な古墳群である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)