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原敬日記 附 絶筆メモ及び本箱

はらけいにっき つけたり ぜっぴつめもおよびほんばこ

概要

原敬日記 附 絶筆メモ及び本箱

はらけいにっき つけたり ぜっぴつめもおよびほんばこ

文書・書籍 / 室町 / 東北 / 岩手県

[日記・絶筆メモ]
原敬
[本箱]
不詳

岩手県

明治~大正

[日記]
表紙は和紙渋引墨書、本文は和紙罫紙墨書、美濃本明朝綴(四つ目綴)
[絶筆メモ]
洋紙罫紙裏紙鉛筆書、一紙
[本箱]
クスノキ材、2列6段、取っ手・鍵穴付前蓋

[日記]
縦26.2~27.6cm 横18.1~18.9cm
[絶筆メモ]
縦21.0cm 横14.5cm
[本箱]
縦(高)85.3cm 横(幅)43.9cm 奥行31.5cm

日記83冊
絶筆メモ1点4枚
本箱1台

盛岡市本宮四丁目38番25号

岩手県指定
指定年月日:20180413

有形文化財(美術工芸品)

原敬(安政3年[1856]2月9日生、大正10年[1921]11月4日没[65歳])の生前は、クスノキ材の木製本箱に納められ、東京芝公園の自宅書斎に置かれていた。大正10年(1921)11月4日に暗殺されてまもなく、盛岡に送られ古川端の別邸介寿荘(現在の盛岡市大通三丁目、七十七日生盛岡ビルとホテル東日本敷地)の倉の二階に秘蔵された。これは原の遺書に「余の日記は数十年後は兎に角なれども当分世間に出すべからず、余の遺物中此日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」という遺言があったためであった。その後、昭和59年(1984)に財団法人大慈会(原敬の菩提寺大慈寺の維持経営と原敬資料の保存法人)から盛岡市に寄贈され、原敬記念館で保存されている。東京の原家は関東大震災(大正12年[1923年])と戦災(昭和20年[1945年])で火災にあっており、逝去直後の盛岡移送が今日までの保存を可能にした。養嫡子の原貢(みつぎ)(筆名奎一郎)は、自ら編集公刊した『原敬日記』(福村出版)の序文で、「天佑というにひとしい幸運の賜物であるといえるかも知れない」と述べている。平成16年(2004)6月1日、盛岡市指定有形文化財。

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