蒔絵カディス海戦図プラーク
まきえかでぃすかいせんずぷらーく
概要
「セント・マリー岬(カディス)沖における1781年5月30日の英蘭海戦図」を、黒漆を焼きつけた素地に蒔絵で加飾したプラークと呼ばれる壁掛け用の飾り板。支持体は、厚みのある銅の板である。蒔絵の原図となったのは、サリエトsc nrコプル(Salieth sc nr Kobell)によるオランダ製の銅版画(紙寸法29.3×42.5㎝)である。長崎のオランダ商館の商館長か出島在留医師のような上級の商務員が、おそらく長崎の漆器商に銅版画の原図を渡し、敷き写しにして蒔絵で加飾するように注文したと推定される。第4次英蘭戦争のオランダ側の善戦を描いた海戦図であり、特別な記念品として京都の工房で製作されたと推定される。このプラークの最下段に「verlakt bij Sasaja in Japan Ao 1792.」と金で記され、1792年に日本の「ササヤ」が漆で製作したことがオランダ語で記されている。額はヨーロッパで付けられたもの。ササヤ(笹屋)は、長崎の大きな漆器商であったが、京都にも店と工房を有していたと推測される。下部に見えるオランダ語とフランス語による記述は以下のとおり「1781年5月30日にセント・マリー岬沖で行われた、オランダのフリゲート艦、ピーテル・メルヴィル艦長のカストル号、ヘラールト・オールトハイス艦長のブリル号と、対するはイギリスのフリゲート艦、ウィリアム・ペーレ・ウィリアムス艦長のフローラ号及びトーマス・ペイクンハム艦長のクレッセント号との戦い」。燃え上がるイギリス艦の煙の蒔きぼかしの表現、船体の艤装(ぎそう)や波のうねりの毛描の表現など、銅版画の線描を蒔絵に見事に移し変え、いわば漆器の洋風画となっている。完成度と品格をして輸出漆器の傑作と位置づけられる。
【近世・近代の漆工・陶磁器・染織】