源平合戦図屏風(一の谷・屋島合戦図)
げんぺいかっせんずびょうぶ いちのたに・やしまかっせんず
概要
源氏と平氏が戦った、寿永3年(1184)の生田森・一の谷合戦、翌年の屋島合戦について、『平家物語』に語られる武勇伝やエピソードをもとに俯瞰的に描きます。
一の谷合戦図では、画面右側に生田の森、中央に平氏が一の谷に構えた陣、左側に平氏の武将たちが敗走する須磨の海が描かれ、源義経の坂落としや、平敦盛の討死などの有名なエピソードが散りばめられます。また、平重衡の生捕りや、平忠度や盛俊といった平氏一門の武将たちの討死のシーンも所狭しと描かれており、諸行無常を感じさせます。
屋島合戦図では、海上の船に掲げられた扇を射落とす那須与一や、海へ落とした弓を武士の誇りを掛けて拾い上げる源義経などが描かれます。
源平合戦図は室町時代から江戸時代に至るまで多く制作され、一の谷と屋島合戦の組み合わせはそのなかでも典型的なものです。本図では人物を比較的大きく描きながら、群衆や船団の描写を随所に配置して、合戦のもつエネルギーの表現に努めています。なお両隻には狩野吉信の落款、印章がありますが、埼玉県川越市の喜多院に所蔵される「職人尽図屏風」を描いた吉信と同一人物ではないようです。
【名品2019】【中世の神戸】