富嶽図
ふがくず
概要
富嶽図とは、富士山を描いた絵のこと。描いたのは、室町時代中期に関東で活躍した禅僧で画家の賢江祥啓(けんこうしょうけい)だと考えられています。
絵の上部に書かれた文章から、鎌倉・建長寺で住職を務めた子純得幺(しじゅんとくよう)が、武将・足利政氏(まさうじ)に贈った作品であることがわかります。政氏は、室町時代に関東を支配する役目を担った鎌倉府の長官、鎌倉公方(かまくらくぼう)の子孫です。文章には政氏を、関東を鎮める山・富士に見立て、戦国の世となってしまった関東の地を安定に導く将軍として称えています。富士山は、このように権力の象徴として描かれることもありました。
注目してほしいのは、富士山の描き方で、峰が三つにわかれています。これは、鎌倉時代から室町時代に表された富士山に特有の決まった型の表現で、聖なる山の形が取り込まれたものです。一方で、富士山の手前に弓のような形をした尾根が描かれています。これは神奈川県北西部に広がる丹沢山地の地形に良く似ています。鎌倉あたりから実際に富士山を見て、その風景を描きこんだのでしょう。
絵画的な型にもとづいた表現と、実際の景色にもとづいた表現とを組み合わせた、この時代では珍しい作例といえます。