南天柄鏡
ナンテンンエキョウ
概要
十八世紀には本鏡のような七寸鏡が標準サイズとして広く流通した。細かな砂目地を、ややまばらで等間隔に打つ点にも江戸中期の特色が見える。南天文は「難転」にかけた吉祥文で、鏡意匠に好まれた。河上山城守は、十七世紀後半から作例が見られ、十八世紀に京都烏丸蛸薬師西入に居を起き(京羽二重大全)、宗次と名乗って幕末まで続く。蓬莱鏡を中心に作例は多い。
ナンテンンエキョウ
十八世紀には本鏡のような七寸鏡が標準サイズとして広く流通した。細かな砂目地を、ややまばらで等間隔に打つ点にも江戸中期の特色が見える。南天文は「難転」にかけた吉祥文で、鏡意匠に好まれた。河上山城守は、十七世紀後半から作例が見られ、十八世紀に京都烏丸蛸薬師西入に居を起き(京羽二重大全)、宗次と名乗って幕末まで続く。蓬莱鏡を中心に作例は多い。
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