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東京市営乗合自動車(円太郎バス)

とうきょうしえいのりあいじどうしゃ(えんたろうばす)

概要

東京市営乗合自動車(円太郎バス)

とうきょうしえいのりあいじどうしゃ(えんたろうばす)

その他 / 大正 / 関東

大正

1両

重文指定年月日:20200930
国宝指定年月日:
登録年月日:

東京都

国宝・重要文化財(美術品)

円太郎バスは、大正十二年(一九二三)九月の関東大震災で被災した路面電車の代替交通手段として、東京市が初めて運行した公営乗合自動車である。市は、当初乗用自動車の購入も検討したが、高額であったため、比較的安価な貨物用トラックを購入し、車台上の荷台を客室に変えて乗合自動車の代用とした。市は、米国フォード社製のT型フォード・一トントラック八〇〇台分の車台と客室の部材を緊急輸入し、同社日本総代理店のセール・フレーザー株式会社横浜工場にてこれを組み立て、翌一月より運行した。
 円太郎バスの乗り心地は市民には不評で、明治初年の馬車鉄道の通称「円太郎馬車」をもじり、「円太郎」、「円太郎自動車」と揶揄された。区間制の運賃は割高であり、事故も多く、一時期乗客離れが進んだが、客室にスプリングを入れたり、カーテンをつけるなど乗り心地の改良につとめた。また、運賃徴収・乗車券販売などの業務を担う女性車掌の配置など、後に続く乗合自動車事業の職員体制の基礎をつくった。
 大正十四年、東京石川島造船所が英国ウーズレー社から自動車製造権を取得して製造した、国産第一号の乗合自動車である一九二四年式ウーズレーCP型が東京市営乗合自動車の車輌に採用され、円太郎バスはは漸次廃棄された。
 本車輌は、大正十三年七月以降に廃車となった後、同十月に肢体不自由児療護教育施設柏学園が購入し、同学園において園児の遠足等に使用された。昭和三十年に旧・交通博物館(東京都千代田区)に寄贈された。その後、鉄道博物館(埼玉県さいたま市)を経て、令和二年に東京都の所有に帰した。
 車台は鋼材による梯子形フレームを基本とし、水冷式直列四気筒のガソリンエンジンを縦置きする。機械式変速装置を経て、プロペラシャフトを介し、後軸ウォームギアを駆動する。エンジンや車軸などには銘文があらわされ、総じて製造当初の動力機構や部品をよく残し、フォード社が徹底した生産分業により低価格化に成功し、世界で約一、五〇〇万台を販売したT型フォードの特徴を今日に伝える。
 本車輌は、我が国の公営乗合自動車として震災復興期の市内交通を担った円太郎バスの現存唯一の車輌であり、乗合自動車が都市公共交通手段として本格的に導入されていく端緒となった車輌として交通史、社会史、科学技術史上に貴重である。

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