京都電気鉄道電車(京都市交通局二号電車)
きゅうきょうとでんきてつどうでんしゃ(きょうとしこうつうきょくにごうでんしゃ)
概要
本車輛は、我が国最初の公共電気軌道を開業した京都電気鉄道株式会社(通称京電、以下「京電」という。)にて使用された路面電車のうち現存する最も製造年代の古い車輌で、明治四十四年(一九一一)に大阪府堺市の梅鉢鉄工場にて製造された三十三両のうちの一両である。
京電は、琵琶湖疏水の水力を利用した日本で最初の事業用水力発電所である蹴上発電所の電力を使用し、明治二十八年(一八九五)二月に市内と伏見を結ぶ伏見線を最初に開通させた。四月には蹴上に近い岡崎で開催された第四回内国勧業博覧会に合わせ、七条停車場―南禅寺間を開業させ、以後市内路線網を拡大していった。しかし、大正七年(一九一八)に京電は京都市に買収され、本車輌も一三三両の狭軌車輌(大型車)の一両として市に移管され、狭軌第五十二号(N52)となった。昭和三十年(一九五五)の車番変更で二号となり、北野線が廃止される直前の同三十六年四月まで使用された。同年十二月に平安神宮神苑に移設され現在に至る。
車輌は、車体長二七フィート、幅六フィート六インチを測る九枚窓の大型車で、木製台枠上に木製車体を載せる。台車は車体と一体化した単台車で、米国ブリル社製Brill21-E型である。電動機は当初は米国ゼネラル・エレクトリック社製のGE800型を搭載したが、昭和三十四年に神戸製鋼所鳥羽工場製Tb-23C型に交換されている。車体の平面構成は、路面電車一般のもので、前後に運転台と乗降口を兼ねた出入台があり、中央部を客室とする。車体は下部が絞られる形状(裾絞り)を採用し客室内の空間を広くとり、座席はモケット張りのロングシートとする。なお、出入台の屋根と客室仕切りの間の上部の金具や、モニタールーフの明かり窓に京電の社章があしらわれるなど、本車輌は一部改造箇所があるものの、製造当初の構造、部品を残しながら廃車時の状態を良く伝える。
なお、京都市交通局に残される簿冊「狭軌木造単車(1)」中の文書、図面により、本車輌の製造から改修の履歴を確認できる点は貴重である。
本車輌は電装品や台車等に外国製品を用いながら日本製の車体に組み合わせて、国内製造所によって完成された。国産単台車の造形の規範となった車輌で、先駆的な初期国産路面電車として交通史上、科学技術史上に価値が高い。