瑞龍寺開山恕陽賛達磨図
ずいりゅうじかいざんじょようさんだるまず
概要
達磨図の上に瑞龍寺開山広山恕陽の賛が書かれたものである。墨書で五言絶句が記されており、「眼高門前松/不面九季壁/嵩山半夜鐘/驚起鐵牛睡」とある。その右側に「蒙□□廣山拜讃」とあり、さらにその右側に印章が2つ押されている。また、本紙中央右端にも印章が押されている。
恕陽の没年が元和9年(1623)であることから、本資料は元和9年以前のものと推測される。
広山恕陽(こうざんじょよう)
?-1623 江戸時代前期の僧。
曹洞(そうとう)宗。越前(えちぜん)(福井県)宝円寺の象山徐芸の法をつぐ。能登(のと)(石川県)総持寺にのぼったのち,金沢宝円寺,丹波永沢寺(兵庫県),越前竜泉寺などの住持となった。
慶長6年、加賀の宝円寺3代。慶長10年、前田利長の隠居に伴い富山に宝円寺を、次いで同18年高岡にも宝円寺を建立する(のち瑞龍寺)。翌年、利長が没するとその導師をつとめた。
元和(げんな)9年1月14日死去。上野(こうずけ)(群馬県)出身。
(講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plusに加筆修正)