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瑞龍寺開山恕陽賛達磨図

ずいりゅうじかいざんじょようさんだるまず

概要

瑞龍寺開山恕陽賛達磨図

ずいりゅうじかいざんじょようさんだるまず

日本画

賛:広山恕陽  (?~1623)

こうざんじょよう

江戸前期

紙本・軸装・墨画,墨書

本紙:縦44.5cm×横27.0cm
全体:縦123.8cm×横28.8cm,軸長35.0cm

1幅

富山県高岡市古城1-5

資料番号 3-01-01-100

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

達磨図の上に瑞龍寺開山広山恕陽の賛が書かれたものである。墨書で五言絶句が記されており、「眼高門前松/不面九季壁/嵩山半夜鐘/驚起鐵牛睡」とある。その右側に「蒙□□廣山拜讃」とあり、さらにその右側に印章が2つ押されている。また、本紙中央右端にも印章が押されている。
恕陽の没年が元和9年(1623)であることから、本資料は元和9年以前のものと推測される。


広山恕陽(こうざんじょよう)
?-1623 江戸時代前期の僧。
曹洞(そうとう)宗。越前(えちぜん)(福井県)宝円寺の象山徐芸の法をつぐ。能登(のと)(石川県)総持寺にのぼったのち,金沢宝円寺,丹波永沢寺(兵庫県),越前竜泉寺などの住持となった。
慶長6年、加賀の宝円寺3代。慶長10年、前田利長の隠居に伴い富山に宝円寺を、次いで同18年高岡にも宝円寺を建立する(のち瑞龍寺)。翌年、利長が没するとその導師をつとめた。
元和(げんな)9年1月14日死去。上野(こうずけ)(群馬県)出身。
(講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plusに加筆修正)

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キーワード

高岡 / 利長 / 富山 / 瑞龍寺

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