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阿波人形浄瑠璃人形頭及び阿波源之丞座関連資料

あわにんぎょうじょうるりにんぎょうがしらおよびあわげんのじょうざかんれんしりょう

概要

阿波人形浄瑠璃人形頭及び阿波源之丞座関連資料

あわにんぎょうじょうるりにんぎょうがしらおよびあわげんのじょうざかんれんしりょう

有形民俗文化財 / 明治 / 大正 / 昭和以降 / 中国・四国 / 徳島県

徳島県

明治、大正、昭和/1905~1965

木偶人形、床本、木製見台、木製小箱、鼓、拍子木、ポスター

人形頭:頭~顎の大きさ、大丸目:18cm、鼻むけ:13.9cm、娘12.2cm、えびす10.6cm、えびす14.0cm、千歳12.5cm、猿8.8cm

142点

徳島県吉野川市鴨島町鴨島252番地1

吉野川市指定
指定年月日:20210323
 阿波源之丞座、深見巴龍(はりよう)・小巴龍(こはりよう)父子が阿波人形浄瑠璃の上演に用いた、人形頭(初代天狗久・天狗弁作)、人形本体・衣装・付属品・見台・丸本・床本・鼓・拍子木と興業ポスターである。
・大丸目「国性爺合戦」の和藤内 初代天狗久作 大正5年8月
・鼻むけ「仮名手本忠臣蔵」の鷺坂伴内 初代天狗久作 明治42年6月
・娘「新版歌祭文」のお染 天狗弁作 昭和35年秋
・えびす 初代天狗久作 大正15年冬
・えびす 初代天狗久作 明治38年3月 奉天占領日・千歳(せんざい) 年代不明 喉木・芯串にワダ天狗久の焼印
・猿 年代不明 喉木・芯串にワダ天狗久の焼印
 若い頃から浄瑠璃に夢中であった深見定一氏は、県下義太夫名人の一人として知られていた近所に住む高橋巴龍に弟子入り、第一の門弟として二代目巴龍を襲名した。昭和13年(1938)、廃業した三好郡の笹山金太夫一座を買取り、これを記念して鴨島の菊遊座で5日間の興行を座主として取り仕切りした。座名を「本家阿波源之丞座」と改め、昭和21年(1946)には、わずか16歳の子息利實氏(小巴龍)が父に代わり座主となり、昭和23・24年(1948・49)には一座を率いて「四国路春の巡業」を行うなど県内外で活動している。昭和25年(1950)の天皇来県の際には徳島市の歌舞伎座での人形浄瑠璃公演に協力し、副知事から感謝状が授与された。父子二代で立ち上げ、引き継いだ阿波源之丞座であるが、昭和31年(1956)の大阪産経会館ホールでの興行を最後に一座としての活動は終了した。

吉野川市

有形民俗文化財

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