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伝源頼朝坐像

でんみなもとよりともざぞう

概要

伝源頼朝坐像

でんみなもとよりともざぞう

彫刻 / 鎌倉

鎌倉時代・13~14世紀

木造、彩色、玉眼

像高90.3

1軀

重要文化財

 木造彫刻であらわした武人男性の坐像です。頭には高い「烏帽子」(烏帽子)をかぶり、「狩衣」(かりぎぬ)とよばれる、両脇を縫い合わせない上着をまとい、「指貫」(さしぬき)という、ゆったりとしていながら足首のところは締まった袴(はかま)をはいています。こうした装束は、もともと狩りのさいに動きやすいよう設計されたものです。はじめは貴族が身に着けていましたが、武人も着用するようになり、12世紀末期以降、武家が政権をになった鎌倉時代には、武人の正装のひとつとなりました。当時の貴族の服飾では、糊を強くきかせて固く直線的に仕上げた「強装束」(こわしょうぞく)が流行しました。それがこの彫像の装束の表現でも意識されています。また胡坐(あぐら)を解いて両足のひらを向かいあわせるような特徴的な坐り方は、やはり当時の貴族の肖像画に見ることができます。武家が勢力をもった新たな時代でしたが、それまでの貴族の服飾や風俗を踏襲したものも少なくありません。
 この像は、12世紀末期に日本初の武家政権である鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)がモデルとの伝承をもちます。その作風から、頼朝の生きた時代から100年後ころに制作されたと考えられています。源頼朝像と伝えられる肖像画や肖像彫刻は、このほかにも数点が知られていますが、それぞれに顔つきや表情が異なっており、はたしてどれが真の姿を伝えているのか、今となってはわかりません。しかし正装に身をつつみ、背筋を伸ばして正面を見すえる姿は、武人にふさわしい威厳をたたえています。豊かな肉付きのほほ、固く結んだ唇など、顔つきの表現はリアルで、当時の肖像彫刻の特色をよく示しています。
 かつてこの像が安置されていた神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、源頼朝ゆかりの神社で、歴代の武人の信仰を集めてきました。優れた造形表現をもつこの像のモデルに、武人の代表ともいうべき源頼朝があてられ、篤い崇敬がよせられてきたのも納得のいくことです。

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キーワード

源頼朝 / / みなもと / 鎌倉

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