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毘沙門天立像

びしゃもんてんりゅうぞう

概要

毘沙門天立像

びしゃもんてんりゅうぞう

彫刻 / 鎌倉

慶算作

鎌倉時代・文永8年(1271)

木造、彩色・玉眼

高92.8

1軀

 仏が住む世界では、東西南北の方角をそれぞれ守っている四体の神がおり、それらをまとめて四天王(してんのう)といいます。いずれも鎧(よろい)をまとった武将の姿で、力強い姿をしています。そのうち、北の方角を守護する多聞天(たもんてん)は単独でも信仰され、毘沙門天(びしゃもんてん)という名前で呼ばれました。この像は持ち物を失っていますが、もともとは左手には小さな塔をのせ、右手には、長い棒の先端に刃を付けた武器を執っていたと考えられます。また、足元の邪鬼(じゃき)は、像と同じときにつくられた点が貴重です。
 この像は、複数の木材を接合して構成する「寄木造」(よせぎづくり)で作られています。内部は干割れを防ぐために削り取られ、空洞(くうどう)になっています。削られた内側に墨で文字が書かれています。そこには、この像が毘沙門天であること、文永(ぶんえい)8年(1271)に、慶算(けいさん)という仏師がつくったことなどが記されています。この慶算について詳しいことはわかりませんが、名前に「慶」(けい)の字がついていることから、平安時代末期から鎌倉時代初頭の12世紀末から13世紀初めにかけて活躍した、運慶(うんけい)の系統につらなる、慶派(けいは)という流派(りゅうは)の仏師であると考えられます。
 ただ、慶派の仏師がつくった四天王像の多くは、手や足の動きに富み、着ている衣や鎧の表現も装飾的です。それに対しこの像は、背筋を伸ばして正面を見据(みす)える姿勢で体の動きが少なく、着ているものの表現も落ち着いています。慶算は堅実(けんじつ)でおとなしい作風を重んじた仏師であったようです。

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