杜鵑
ほととぎす
概要
明治37(1904)年2月、横山大観は岡倉天心に同行し、六角紫水、菱田春草とともに渡米しました。ニューヨークに向かった大観と春草は資金を得るため、日本から運んだ絵絹で絵の制作に励み、在米中におよそ5回の展覧会を開いた。
《杜鵑》は天心と親交のあったニューヨークの富豪、サースビー姉妹が旧蔵していた作品で、かねてからセンチュリー・アソシエーション展の展覧会目録に見られる“A Cuckoo”と考えられていた。しかし近年、目録の書込みでは別の人物が購入した形跡があり、新聞評の「急流の川と松の木々が霧を通してぼんやりと見え、中空高く横切っている鳥」という描写から、川のない当館のものは同展の出品作ではないことが分かってきた。大観や春草は同音異曲のものを何枚も描いていることから、画題のみで米国のどの展覧会出品作かを断定するのは難しく、慎重な検討を要する。
さて、画面には初夏を告げる杜鵑が上空を横切り、奥深い空間を感じさせる樹木が濃淡で描かれている。線描を用状や空間を表現する没骨描法による表現は、風景描写のリアリティーを出すために大観や春草が明治33(1900)年頃より始めたものだが、線描を命とする日本の鑑賞界からは朦朧体と揶揄され不評だった。しかし、米国で開いた展覧会では好意的に迎えられ、多くの作品が高額で売却された。本作はこの時期の大観芸術を知るために貴重な一点といえる。