紅葉山水 こうようさんすい

絵画  日本画 / 明治 / 日本 

菱田春草 (1911年)
ひしだしゅんそう
1908年頃
絹本,着色
119.7 x 50.5cm

 長野県飯田市に生まれる。1888年に上京、結城素明に日本画を学び、90年に東京美術学校に入学して川端玉章に師事した。1895年に卒業し、翌年から同校では教鞭をとるようになった。岡倉天心の指導のもとで横山大観、下村観山らとともに日本画の新しい可能性に挑戦していった。1898年、東京美術学校騒動に際して校長であった天心に殉じて同校を辞し、日本美術院の創設に参加。彼は古典を研究する一方で、1899年頃からは伝統絵画の線による表現を捨て、西洋絵画の色彩表現などを参考に色面のぼかしを多用した、いわゆる「朦朧体」の表現を試みるようになった。これは当時の美術界に受け入れられず、同様の試みを行なっていた横山大観等とともに不遇の一時期を過ごすこととなった。しかし、そのなかで春草はしだいに朦朧体の限界を克服し、色彩や線描の効果を造形的に総合した《落葉》に代表される、まさに近代の日本画と呼ぶにふさわしい絵画を完成させていった。   春草が挑戦した革新的な描法である《朦朧体》は、色面のぼかしを多用するという特質から光の拡散や湿潤な空気といったものを表現するには適していたため、朝夕の情景や水辺の情景が好んで取り上げられた。しかしその一方で、例えば大きな岩の立体感や実在感を表現するには必ずしも適していなかった。彼はその弱点克服のための一つの工夫として、点描風の筆触を用いることを試みるようになった。この作品はその代表的な作例といえるもので、滝壷の波立つ水面の様は朦朧体の特徴であるぼかしを用いて表現し、滝が落ちる大きな岩肌は細かな筆触と墨の濃淡を巧みに重ねて、岩壁の立体感や実在感を表現している。そこに紅葉した樹を入念に描いて、確かな秋の風景を描き出すことに成功している。春草が完成させた絵画表現の一端を示す重要な作例である。(M.M.)

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