高岡彫刻塗鯛盆「定塚町校後援会記念」
たかおかちょうこくぬり じょうづかまちこうこうえんかいきねん
概要
高岡の伝統産業「彫刻塗」の鯛盆である。盆の裏面には朱漆で「記念 定塚町校後援会」と描かれている。
【彫刻塗】
彫刻塗とは、江戸期からの歴史をもつ伝統産業「高岡漆器」の技法の一つである。木地を彫刻して錆漆を塗り、漆を何度も塗っては磨き、彩漆で模様を描き、古味(ふるび)(灰墨)を溝に付けて、最後は手のひらで磨いて仕上げる技法である。
高岡漆器は慶長14年(1609)、加賀前田家2代当主・前田利長による高岡開町後まもなく始まったとされ、のちに中国の技が伝わり、名人たちによって多くの技が生み出されてきた。
江戸中期の名工・辻丹甫(つじ・たんぽ)の技法に始まるとされる。富山県工芸学校(現・県立高岡工芸高等学校)教諭・村上九郎作(くろさく)が、明治30年(1897)に「鯛盆(たいぼん)」を開発したことで産業デザインとして確立した(デザインは校長の納富介次郎(のうとみ・かいじろう)。その後、鯛盆などの手ぐり盆や鯛菓子器などのヒットにより産業として発展し、海外にも輸出された。
昭和50年、彫刻塗を含む高岡漆器は銅器とならんで、全国初の伝統的工芸品の産地指定を受けた。
<参考>
『第53期常設展 高岡の技と美 -金工・漆芸-展示ガイド』(高岡市美術館、平成24年)