「高岡伏木間三等路線 閉嚢鉄道郵便発着表」
たかおかふしきかんさんとうろせん へいのうてつどうゆうびんはっちゃくひょう
概要
明治36年(1903)4月5日改正の「高岡伏木間三等線路 閉嚢鉄道郵便発着表」である。
表中の太枠内の一・三列目は項目で、「国名」、「局名」、「駅名」、「下リ(一号便通常及小包、二号便、三号便通常及小包、四号便)」、「上リ(一号便、二号便通常及小包、三号便、四号便通常及小包)」の順に記載される。二列目は、「越中」、「高岡/新港/伏木」、「高岡/伏木」とあり、「発前」・「着前」・「発后(後)」のそれぞれの時間が刷られる。
太枠上には富山線と城端線の各号発着時間表もある。
太枠下の脚注は、「(1) 便名欄ノ亞剌比亜(注「アラビア」)数字ハ列車名又単ニ何号便トアルハ通常郵便物ノミ搭載スルモノトス」、「(2) 本線郵便物ハ駅長ニ托シ通常小荷物運送ト同一方法ヲ以テ逓送セシムルモノトス」、「(3) 本表ハ発着時刻改正ノ為メ(一月廿日改正ノ分ヲ)改刷」とある。
右上には朱印「神戸局/卅「六」年「八」月「(六カ)」日受付/「二八□」号」(「」内は墨書)がある。
状態は良好である。右側に綴り紐の穴が2ヶ所空いており、長らく綴られていたものと思われる。
「鉄道郵便」は明治5年(1872)から昭和61(1986)年まで(※1)行われ、その種類は「郵便車内で郵便物の区分を行う「取扱便」、職員は乗務するが車内での区分は行わない「護送便」、職員乗務がなく、目的地まで施錠したまま郵袋を運ぶ「締切便」等の形態に分かれ」(※2)ている。「閉嚢」とは、その内の締切便(郵便車に係員が常務しない)(※3)のことであり、「明治31年(1898)6月、郵便物の閉嚢託送便制度を実施」(※4)されたという。
※1・・・谷和原のぞみ「移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代」(HP「Excite Bit コネタ」)
※2・・・Jun-ichi Hayakawa(O型台風)「Vol.63 故郷からの便りを載せて…」(HP「線路のある風景/O型台風のホームページ」)
※3・・・「時刻入型鉄道郵便印のデータ表(2)」(2015/4/18(土))(「鉄道郵便のブログ」)
※4・・・「日本国有鉄道百年史. 年表」(1997.12)(HP「渋沢社史データベース」)
(上記HPは全て平成28年11月25日アクセス)