雑画集錦
ザツガシュウキン
概要
いずれも中国江南の出身で、斉白石(せいはくせき)と同様、北京に出て活躍した画家たちの墨技を示す小品。 王雲(1888~1934)字は夢白(ぼうはく)。江西豊城の人。若くして上海で商人として働いていたが、やがてこれを捨て、黄山寿(こうさんじゅ)・任伯年(じんぱくねん)・呉昌碩(ごしょうせき)らの画家に学んで画技を磨き、後、北京に出て、同郷の陳衡恪(ちんこうかく)を頼った。罵が三絶のひとつともいわれた王雲は、傲慢奇矯な性格で知られ、いなかなまりの声色をまねて白石を嘲ったこともあったが、画技においては触発しあい、しばしば合作している。 蕭そん(しょうそん 1883~1944)字は謙中、安徽懐寧の人。38歳になって北京にいたり、展覧会で、石濤(せきとう)・梅清(ばいせい)・きょう賢(きょうけん)らの絵を見て、悟るところがあり、旧習を捨て自ら新風を創始した。1920年に金城(きんじょう)らが組織した中国画学研究会に加入し、北京芸術専門学校の国画教授を務めた。 陳年(ちんねん 1877~1970) 字は半丁、浙江紹興の人。若くして上海に出て、呉昌碩(ごしょうせき)に知られ、その入室の弟子となった。光緒三二年(1906)、北京に上り、以後この地に定住して、画名を高めた。国立北平芸術専科学校中国画教授、北京中国画院副院長等を務め、陳衡恪(ちんこうかく)や斉白石(せいはくせき)とも親交があった。