紙本墨画淡彩七本杉図写
しほんぼくがたんさいしちほんすぎのずうつし
概要
紙本墨画淡彩七本杉図写
しほんぼくがたんさいしちほんすぎのずうつし
富山県高岡市
明治中~昭和中期頃
紙本・墨画淡彩・軸装
縦137.7cm×横67.5cm
全体:縦206.7cm×横80.3cm,軸長91.5cm
1幅
富山県高岡市古城1-5
資料番号 3-01-01-108
高岡市立博物館
高岡出身の日本画家・正村陶所による七本杉図。槐処(邨)は不明。何名かの僧侶たちが杉の太い幹の周りに手を伸ばして囲むものの、それでも幹の周囲は回り切れず、大木・七本杉の巨木さを上手く表現している。
なお、原図は高岡初の町絵師・堀川敬周(1789頃~1858)筆「大杉の図」(江戸後期/光慶寺蔵)。
正村陶所(1886~1954)は、高岡市の日本画家・俳人。木舟町の発田家出身で守山町の正村家に入った。冨田渓仙に影響を受け、独創性豊かな淡墨彩画のほか、地方風物を題材に描いた作品も多く残した。同市木町出身の政治家で漢詩人・書家の大橋二水などに漢詩を学び、筏井竹の門等俳人との交流も広い。
七本杉は高岡駅前(末広町通り)に立っていた巨木。一説には根元から七本の枝が天に向かって伸びていたためその名があるといわれる。七本杉は樹齢千数百余年・高さ38m・周囲18m(20mとも)あったといわれ、古来より巨木・七本杉には神霊や天狗がいるともいわれ、ご神木ともされた。
明治31年(1898)には高岡駅(当時は射水郡下関村)が新設され、末広町通りは交通の要路となっていくが、七本杉は以前から枯れて倒壊の危険があったうえ、交通や市街地化の妨げになってきたため昭和2年(1927)に伐採が決定し、11月18日の式典を経て26日に伐採された。またこの七本杉は全国銘木類抄にも掲載され、明治44年(1911)七本杉は全国一の古木であることが立証されている。
<参考>当館展覧会「郷土の俳句・俳画」人物略年譜(展示用)ファイル,平成14年
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