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聚楽園大仏及び境内地

しゅうらくえんだいぶつおよびけいだいち

概要

聚楽園大仏及び境内地

しゅうらくえんだいぶつおよびけいだいち

名勝 / 昭和以降 / 愛知県

山田才吉

やまださいきち

昭和2年/1927年5月21日

鉄筋コンクリート

像高18.79m

東海市荒尾町西丸山47-3

東海市大仏寺

 台座には、国家鎮護のため、一切経の写経石が埋められ、大仏の胎内には、観世音菩薩像を安置し、鎌倉大仏(阿弥陀仏)を模して造られたこの大仏は、昭和2年5月21日、当時としては我が国最大級。昭和天皇の御成婚を記念して、開眼供養が行われた。発願主は、名古屋の実業家山田才吉で、名古屋に東陽館、南陽館なども作った人である。この人が作った旅館聚楽園の跡地を利用して茶室嚶鳴庵が建てられた。名古屋鉄道聚楽園駅東の高台に鎮座し、松林の間に遠望できる景観は、すでに約八十年に亘ってこの地を往来する人々の心に、「聚楽園の大仏様」として親しまれてきた。この大仏寺の境内に立てば、万葉の歌枕「あゆち潟」が遠望され、近くに、「知多の浦」「可家の湊」も望見される景勝地であった。
今は、大工場の進出によって、眺望はかなり悪化したとはいえ、尚その価値を無視することはできない。昭和58年11月24日、本市文化財として指定され、翌年9月より大がかりな補強修理が行われた。仏体に銅粉を吹付けて面目を一新し、昭和60年6月1日、修復落慶開眼供養が行われた。

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キーワード

大仏 / 行う / / 開眼

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