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那智瀧

概要

那智瀧

日本画

冨田溪仙  (1879-1936)

トミタ、ケイセン

昭和10年/1935

彩色・絹本・軸・1幅

66.0×71.8

左下に落款、印章

五葉会展 大阪美術倶楽部 1935

14
那智瀧

冨田溪仙
 
一幅
絹本著色
縦六六・〇 横七一・八
昭和十年(一九三五)
東京国立近代美術館

冨田渓仙(一八七九・一九三六)は、はじめ狩野派を学び、のち京都に出て都路華香に入門し、四条派を学んだ。その一方、仙崖や富岡鉄斎に傾倒したり、また内貴清兵衛の勧めで古今東西の画に親しみながら、さらには仏教やキリスト教を学ぶなど幅広い研究を重ねて、自由闊達な独自の画風を築いた。文展出品作が横山大観に認められ、大正三年以降は主な活躍の場を再興院展に移した。
「那智瀧は溪仙晩年の境地を示すユニークな作品。熊野三山の一つ那智山中にある那智の瀧は、瀧自体が御神体であることから神聖な存在として古くから信仰を集め、修験道の拠点として古くから多くの修行者が集まった。『平家物語』巻第五には文覚上人が那智瀧で瀧業をする話が伝えられ、またその様を描いた那智参詣曼荼羅が、室町時代中頃より盛んに描かれている。ここでは、不動明王の呪文を唱えつつ瀧に打たれる文覚が、あまりの荒業に耐えかね息絶えそうになったとき、不動明王とその眷属の、矜羯羅、制叱迦の二童子が瀧から現われ文覚を助ける場面が描かれる。(古田)


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