菊池の松囃子
きくちのまつばやし
概要
菊池の松囃子は熊本県菊池市に伝承される芸能で、毎年十月十三日の菊池神社の秋の大祭初日に、征西将軍懐良【かねよし】親王ゆかりの将軍木【しようぐんぼく】と称するムクの大木に向かって建てられている能舞台で演じられる。
松囃子とは中世に流行した芸能で、もともと新春に祝言を述べ種々の芸能を演じたもので、松拍・松奏などとも記した。松囃子は、演じられる芸能の種類から、つくりものや仮装など風流系のものと、能・狂言系統に大別される。菊池の松囃子は能・狂言を演じる松囃子として、古風な面影を残している。
菊池の松囃子の起源については確たる資料を欠くため不明確であるが、地元の伝承では一四世紀に懐良親王を菊池に迎えた菊池武光【たけみつ】により、年頭の祝儀として正月二日に催したのを始まりとしており、また、現在伝承されている詞章などからみて少なくとも室町時代から伝承されていると考えられる。
菊池の松囃子は、立烏帽子【たてえぼし】・直垂【ひたたれ】・大口袴【おおぐちばかま】・白足袋姿の舞人一名、裃姿の地謡【じうたい】方(人数不定)、裃姿の大鼓二名・太鼓一名の囃子方、および介添え役一名によって演じられる。その次第は、最初に地謡が切戸口【きりどぐち】より出て鏡板を背にして二列に着座し、続いて橋掛【はしが】かりから大鼓・太鼓・介添え役が出て地謡の前に座る。その後、一メートルほどの笹を右肩に担いだ舞人が橋掛かりから摺り足で登場し、舞台正面に進み着座して、将軍木に向かい一同一礼する。演技は三段で構成されており、初段は舞人が立ち上がり、「天下泰平、国家安穏、武運長久、息災延命、弓は袋に入れ、剣は箱に納め、我が朝にては、延喜の帝の御代ともいいつべし。もろこしにては堯舜【ぎようしゆん】の御代ともいえり。千年丹頂の鶴、万歳緑毛の亀、めでたき御代にて御座候、毎年御嘉例の松をはやし申そう」と祝言を述べ、二段目は地謡と囃子に合わせて笹を持って三番叟【さんばそう】風の舞を舞う。三段目では、舞人は太鼓の横にいる介添え役のところに進み、三宝【さんぽう】の上に笹を載せ、かわって扇を右手に持ち、舞い納める。その後、一同将軍木に向かい一礼して、舞人・介添え役・囃子方は橋掛かりより、地謡は切戸口から退出する。ここまでがいわゆる「松囃子」であるが、地元ではこの部分を「勢利婦【せりふ】」と称し、その後に仕舞【しまい】「老松【おいまつ】」をはじめとする仕舞・狂言が数番ずつ演じられ、全体を「御松囃子御能」と称している。全体として舞いの振りは古風であり、謡の調子にも素朴な要素をとどめるものといえる。
このように、菊池の松囃子は中世の松囃子の一形態を伝えるものとして貴重であり、能の変遷過程を知るうえで特に重要である。