車大歳神社の翁舞
くるまおおとしじんじゃのおきなまい
概要
車大歳神社の翁舞は、現在の能楽の一般的な「翁」には登場しない「父【ちち】の尉【じょう】」を含むもので、かつての「翁」の様子をうかがわせるものである。車の翁舞は、地元で、オメンカケ(御面掛け)やオメンシキ(御面式)、あるいは単にオメン(御面)などとも呼ばれ、毎年正月十四日の夜、車地区の大歳神社で上演されている。車地区は、神戸市西端の須磨区の北部山間地にあたり、特に昭和四十年代以降は急速に市街地化したが、元禄年間の記録によると、戸数五〇ほどの小集落で、その当時から大歳神社は地区の鎮守であった。
「翁」は神聖視され、一般の能の演目とは異なる特別な演目で、現在は、舞台披きや特別な公演のときに舞われる。遅くとも中世後期から近世初頭のころには、専門演技者が神事芸能として「翁」を各神社の祭礼で演じるようになっていたとされる。車大歳神社の翁舞については、宝暦十四年(一七六四)の記録によって、そのころまで専門演技者が演じていたことがわかるが、文久二年(一八六二)とされる台本が残っていることから、このころには地元の人びとが翁舞を演じるようになったものと考えられる。
この翁舞は、露払【つゆはら】い、翁、三番叟【さんばそう】、父の尉で構成され、翁と父の尉は同一人が担当する。一連の行事は、まず翁舞の各役割を決めることから始まる。かつては正月五日の新年最初の村の寄合【よりあい】で決定していたが、現在では、十一月下旬に、翁舞の練習などの場所となるヤド(宿)、翁および父の尉の役、露払い、三番叟、地謡【じうたい】、さらに囃子方【はやしかた】の笛・小鼓【こつづみ】・地元でオオドウと呼ぶ大鼓【おおかわ】の役を決めている。かつては、ヤドをつとめなければ隠居ができなかったとされ、または翁および父の尉は、長男がつとめることになっていたといわれ、現在でも、それはできるだけ戸主【こしゅ】から選ぶことになっている。なお露払いは一〇歳ほどの少年、三番叟は一二歳ほどの少年の役である。一方、囃子方は青年の役で、地謡三-四人、笛二人、小鼓二人、大鼓一人となっている。翁舞の稽古は一月八日から十二日までの五日間と定められ、その間は毎日ヤドで翁舞を二回舞うが、十三日は稽古を休み、十四日の祭礼を迎える。
祭礼当日は、まず御神体として神社本殿に安置してある翁、三番叟、父の尉の面三体を取り出し、ヤドに持ち帰って床の間に安置する。夕方六時ころからヤドで翁舞を舞う。その後、一同はヤドを出て列をなして大歳神社へ向かい、神主、面を持ったヤド、露払い、翁・父の尉役、三番叟、地謡、囃子方の順番に入り、舞殿で翁舞を上演する。翁舞は四〇分ほどで、終わると再び面三体を本殿に戻す。
この車大歳神社の翁舞の特徴は「稚児【ちご】の露払い」と「父の尉」が登場することである。鎌倉時代から南北朝にかけて、翁舞には、露払いの稚児が登場し、その次に翁が出て、三番叟、延命冠者【えんめいかじゃ】、父の尉と続く形式のものがあったが、その後、露払いは千歳【せんざい】に代わり、延命冠者と父の尉が省略されて、現在の千歳、翁、三番叟の形式が主流になったとされる。
このように車大歳神社の翁舞は、かつて行われていた翁舞の姿を、現在も伝承するものであり、芸能の変遷の過程を示し、また地域的特色も顕著である。
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