清水氏庭園
きよみずしていえん
概要
江戸時代に島津藩主が領内の110ヶ所に設けた「麓」と呼ばれる武士団の集住地のうち、志布志麓は隣藩との境界に位置する海陸交通の要衝として、藩内でも有数の規模を誇った。清水氏庭園は志布志麓に残る武家屋敷庭園の一つで、前川に沿って形成された「小渕馬場」と呼ばれる街路に面して位置する。
敷地の東面は比高4〜5mの法面を成し、後の道路拡幅により法面の裾部が割石積に変更されている。街路と直交する小路に入り、さらに右手に折れると、石階を伴う登り勾配の導入路が門に至るまで延びている。門の内側は丸みを帯びた玉石積の石垣及び牆壁に囲まれた矩折れの通路となっており、その先に庭園と主屋が展開する。庭園は大正14年(1925)の建造とされる現在の主屋の南庭と東庭から成り、その境界部には石積みの牆壁を設けて区画している。ともに枯山水の様式で、街路に沿って盛り上げられた土塁状の地形の高まりを利用しつつ、敷地の内側に低い玉石積を回して土留めとし、帯状の築山を形成している。南庭では、築山とその端部を成す石積を背景として、平場に立石や伏石など複数の景石を据えており、東庭では、主屋に近いなだらかな築山の傾斜面上に手水鉢や小振りの景石を据えている。また、双方には、イヌマキ・サルスベリなどを中心に、ツツジ・マンリョウ・ナンテンなどが植えられているほか、特に東庭の中央にはクロマツが植えられている。ともに簡素な意匠の中に武家屋敷庭園の遺風を残し、住宅建築が建造された大正末年の住宅敷地の様相を現在に伝えている。
以上のように、清水氏庭園は、近世の志布志麓における武家屋敷の地割を基盤として、近代に作庭された独特の風趣を伝える住宅庭園の一つで、造園史上の意義は深く、同時代及び同地域に属する庭園の類型の中でも、特に意匠又は構造面の特徴となる造形をよく遺していると考えられる。