正福寺地蔵堂
しょうふくじじぞうどう
概要
正福寺地蔵堂 一棟
正福寺は平坦な武蔵野の寺で、臨済宗建長寺末である。最近、江戸時代の寺伝を綿密に検討した結果、北条一族の入宋僧無象静照(一二三四~一三〇六)が師の南宋径山寺石渓心月を勧請開山として草創したものと考えられるようになった。地蔵堂はその仏殿で、昭和八年の修理のさい、尾垂木尻の持送りに応永十四年(一四〇七)の墨書が発見され、建立年代が確定するとともに、山号の金剛山や当初から地蔵菩薩を本尊とすることも判明した。
こけら葺入母屋造の屋根をあげた方三間裳階付の外観から、立体的な内部の構成、装飾細部の性質まで円覚寺舎利殿とたいへんよく似ており、室町前期の鎌倉地方禅宗仏殿は高度に標準化され、洗練されていたと考えてよい。すなわち外観上の構造細部では、主屋を詰組の三手先、裳階を詰組の三斗とし、側面の扉と窓の位置、および裳階屋根を目板打ちの板葺(保存上の観点から銅板をかぶせる)とするぐらいが主な相違点で、内開の扉がみられるのは舎利殿よりも旧姿をよく伝えている。内部の裳階の構造、主屋の虹梁大瓶束架構と上部の中央方一間鏡天井にむかって迫り上るような構造と意匠も舎利殿と同様式で、主屋側柱上部の貫の間を吹き放しにするのも、古い時期の姿を
舎利殿よりよく残している。
当堂は円覚寺舎利殿とともに室町前期の中規模禅宗仏殿の典型であり、また年代明確な関東禅宗仏殿の最古の例として基準的な価値を持つ。
【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)