鍋島直茂宛て豊臣秀吉書状
なべしまなおしげあてとよとみひでよししょじょう
概要
豊臣秀吉が鍋島直茂(1538~1618)に宛てた書状。備中で敵城を攻め、毛利氏の陣中に切りかかろうとしていたところ、「京都不慮」のため毛利氏とは和睦を結び、急遽京都に上って一戦に及び、「明智一類ども残らず首を刎(は)ね」たとある。すなわち、天正10年(1582)6月に京都でおきた「本能寺の変」直後の手紙である(7月11日付)。
冒頭には「仰せの如く、去年のころ示しに預かり候」とあり、鍋島直茂が以前から秀吉によしみを通じていたことが分かる。またこの度は「南蛮帽子送り給い候。祝着の至りに候」とあり、直茂は長崎で入手した南蛮帽子を秀吉に贈っている。
この頃の鍋島直茂は北部九州を有していた龍造寺隆信(1529~84)の有力家臣だった。隆信はこの書状から2年後にあたる天正12年(1584)に戦死。それ以降の時期に秀吉から発給された鍋島直茂宛ての朱印状は数多く残されているが、隆信存命中にその家臣である直茂に宛てられた秀吉からの書状の原史料として貴重。こうした内容と、天地10cmほどの小ささから、本状は密書とされている。増田長盛の副状も残されている。