鍋島直茂宛て豊臣秀吉朱印状
なべしまなおしげあてとよとみひでよししゅいんじょう
概要
天正15年(1587)、薩摩の島津氏を降伏させ九州を平定した豊臣秀吉は、筑前箱崎で九州諸将に領地を宛行った。肥前の戦国武将龍造寺隆信の跡を相続していた龍造寺政家には本領のうち肥前国の佐嘉・小城・三根・神埼・杵島・藤津・松浦の7郡が与えられた。一方これとは別に、龍造寺家の有力家臣鍋島直茂(1538~1618)には肥前国の養父郡(やぶぐん)・基肆郡(きいぐん)の一部が与えられた。
さて、秀吉の命により佐々成政が入部した肥後国では、これに反抗した国人による一揆がおこる。秀吉は九州諸将に鎮圧を命じたが、本書状はその際に鍋島直茂に宛てられた秀吉からの朱印状である。「龍造寺ならびに其方(直茂)事、諸式如在無きよう覚悟せしめ、忠節専用に思召し候なり」と結ばれており、龍造寺政家と並んで鍋島直茂にかける秀吉の期待のほどがうかがわれる。