金銅製冠帽
こんどうせいかんぼう
概要
熊本県にある土を盛って作られた墓、江田船山古墳(えたふなやまこふん)から出土した冠です。これは、死者とともにお墓に埋められた副葬品(ふくそうひん)です。銅に金メッキをした金銅でできたもので、今もところどころに金色が残っています。山型の縁(へり)の部分にいくつか穴があいているのは、そこに歩揺(ほよう)と呼ばれる小さな丸い鱗のような飾りを鎖でさげていたためです。歩揺は、冠をかぶった人物が動くたびに揺れて輝き、かすかな音をたてました。静まりかえった儀式の場では、注目を集めたことでしょう。全体的に透かし彫りで表されているのは、もとは竜あるいは唐草の文様が、連続したデザインに変化したものという説がありますが、詳しくはわかっていません。当時朝鮮半島の南西部にあった国、百済(くだら)の古墳からも、同じような冠が見つかっています。
江田船山古墳は熊本県北部の菊池川中流域に位置する前方後円墳で、5世紀後半から6世紀初めに造られたと考えられています。豪華な副葬品が数多く見つかっており、中でも銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)は、ヤマト政権とのつながりを示しています。この古墳の主は、このように強大な力を持っていたこと、また菊池川流域という立地を考えても、当時有明海や八代海にいた海上の軍隊・水軍をまとめていたのではないかと考えられています。そして、この冠を含めた副葬品の一部は、水軍の力をバックにした、百済とのつながりを示しているのかもしれません。ヤマト政権と百済との交流が活発になるのはもう少し後の仏教伝来以降、6世紀後半のことです。それよりも前に、地方豪族と百済の有力者が、ヤマト政権を介さずにつながっていたことを示す貴重な史料です。