酒井忠次書状 大須賀一徳齋宛
さかいただつぐしょじょう
概要
善光寺の別当栗田氏は武田配下のもと勢力を有していたが、天正9年2月28日遠江高天神の戦いに栗田鶴壽は討死し、跡嗣が決まっていなかった。そのために酒井忠次は鶴壽の長子永壽を家督相続人とし、被官大須賀一徳齋を後見役として家康に拝謁せしめて善光寺の寺領安堵をおこなった。この文書は永壽の身上を引き立てることに関して一徳齋に任せることを伝えたもの。
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公益財団法人致道博物館さかいただつぐしょじょう
善光寺の別当栗田氏は武田配下のもと勢力を有していたが、天正9年2月28日遠江高天神の戦いに栗田鶴壽は討死し、跡嗣が決まっていなかった。そのために酒井忠次は鶴壽の長子永壽を家督相続人とし、被官大須賀一徳齋を後見役として家康に拝謁せしめて善光寺の寺領安堵をおこなった。この文書は永壽の身上を引き立てることに関して一徳齋に任せることを伝えたもの。
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