太刀 銘 真光 附糸巻太刀拵
たち めい さねみつ
概要
鎌倉期、真光は通説長船長光の門下と伝えられる。鎬造り、庵棟、腰反り高く踏張りがあり、鋒は猪首となる。鍛えは板目肌つみ、地沸つき、地景入り、刃文は丁子に小互の目交じり、表に腰刃を焼き、総じて匂い深く、小沸つき、匂口冴える。帽子は乱込み、先尖りごころに反り、金筋かかる。表裏に棒樋を掻き流し、目釘穴の上の平地に真光と二字銘がある。
長篠・設楽原の戦いで酒井忠次が鳶の巣山城攻撃で功を遂げた。その後織田・徳川軍が甲斐侵攻、天目山で武田勝頼が自刃滅亡した。信長はその帰途浜松・吉田城に寄り、天正10年3月(1582)それらの戦いで戦功のあった忠次が接待にあたった。その時、織田信長から黄金二百両とこの太刀を拝領した。その2ヶ月後の6月2日織田信長は明智光秀による本能寺の変にあい没す。身幅が広く堂々としたいかにも鎌倉時代らしい名刀である。この糸巻太刀拵も信長から贈られた当時のままで、ともに国宝に指定されている。
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