久留倍官衙遺跡
くるべかんがいせき
概要
四日市市内の北部、丘陵の東先端部に位置する古代の官衙遺跡。多数の掘立柱建物を検出した。検出した遺構は大きくⅠ期からⅢ期に分けられ、Ⅰ期は正殿、脇殿等を整然と配置する政庁、Ⅱ期は長大な東西棟建物群、Ⅲ期は倉庫群からなる正倉院と、時期により異なった性格を示す。また、これらの遺構群は全て東を正面とする点が特徴となる。その他、丘陵の北東斜面部にも同様にⅠ〜Ⅲ期の変遷をたどる掘立柱建物群があり、館や厨としての機能が想定できる。
久留倍官衙遺跡は官衙の政庁や正倉院等が時期ごとに場所を違えて展開するもので、古代伊勢国朝明郡衙跡である可能性が高い。壬申の乱の際に大海人皇子(後の天武天皇)が朝明郡に立ち寄ったことが知られており、それとの関係も注目される。
久留倍官衙遺跡は官衙遺跡をその規模、配置等が明確な形で検出し、政庁、正倉院等が明瞭に把握できる点で貴重である。これは、古代国家の地方支配体制を具体的に示すものとしてきわめて重要である。