伊賀国庁跡
いがこくちょうあと
概要
木津川の支流、柘植(つげ)川右岸の段丘上に位置する古代伊賀国府の国庁跡。国府の所在地については、柘植川対岸の沖積地が推定されていたが、三重県埋蔵文化財センターと上野市教育委員会による発掘調査で判明した。
遺構についてはⅠ期からⅣ期の変遷があり、東西約41m、南北も同程度の掘立柱塀で区画された政庁域の中に、正殿・前殿・脇殿等が配される。主要建物は当初は掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)であるが、Ⅲ期にあたる10世紀前半から後半にかけて礎石立(そせきだて)建物に建て替えられる。出土した墨書土器(ぼくしょどき)の中に「国厨」と書かれたものがあり、遺跡の所在地に「こくっちょ(国町)」と称する地名が残ることから、検出された建物群は伊賀国府の中枢部分である伊賀国庁を構成するものと考えられる。
このように、伊賀国庁は主要な施設の配置関係がほぼ判明し、遺構の残存状況も良好である。存続時期は8世紀末から11世紀中頃であり、下国(げこく)「伊賀国」の国府中枢である国庁の造営と変遷の実態を良く示すとともに、古代伊賀の政治情勢を示す上でも貴重である。