石狩弁天社の鮫様(妙亀・法亀大明神像)
いしかりべんてんてんしゃのさめさま
概要
・石狩弁天社の鮫様は、文政8年(1825)に石狩場所の元小屋支配人であった山田仁右衛門が奉納したものです。
・この像は、金泥に塗られた台座上に、鎧を着け亀の背に乗った「妙亀」像と、衣冠束帯で鮫の背に乗る「法鮫」像の2像で構成されています。この2体で構成される本像の名称は、「妙亀・法鮫」の他に、「妙鮫・法亀」と呼称されることもあります。
・石狩場所請負人であった村山家が作成した「妙鮫法亀大明神由来」によれば、文政元年(1818)、石狩場所関係者の夢枕に石狩川の主とされる巨大な鮫と亀が現われて祭祀を依頼したことから、祠が建立され、続いて文政8年にこの妙鮫法亀大明神の像が奉納されました。以後、場所関係者などにより祀られ、現在も地元漁業者の信仰の対象となっている。
・鮫は、石狩地方のアイヌの人たちの伝承に見える「石狩川の主」としてのチョウザメと結び付くものと考えられ、アイヌの伝承と和人の信仰が混淆した北海道の特色ある様相を呈しています。
・なお、厨子には墨書がありその由来を知ることができます。このことから、これを付とします。