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高野版板木

こうやばんはんぎ

概要

高野版板木

こうやばんはんぎ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 鎌倉 / 近畿

鎌倉

486枚

重文指定年月日:20000627
国宝指定年月日:
登録年月日:

宗教法人金剛三昧院

国宝・重要文化財(美術品)

 本件は、鎌倉幕府の3代将軍・源実朝および北条氏累代の菩提を弔うために北条政子に勧めて秋田城介安達景盛<あきたじょうのすけあだちかげもり>(?~1248年)が建立した金剛三昧院に伝来する板木である。
 これらの板木は景盛の孫泰盛(1231~85年)が願主となって開版した鎌倉時代の当初開版を中心に近世、近代の開版を含めて都合486枚を今日に伝えている。
 体裁は、桜材を用い、基本的には横長の平板で、両面を陽刻にて彫成している。中世開版の板木の多くは巻子装<かんすそう>版形式が主流であるが、粘葉装<でっちょうそう>版形式や大和綴装<やまととじそう>版形式等を併せて伝存する遺例はまれで、高野版の特徴を伝えて注目される。
 その中心を占めるのは『大日経疏<だいにちきょうしょ>』20巻で、巻第一に「建治三年丁丑五月四日 於金剛峯寺信藝書」「弘安元年十一月十一日 金剛仏子良和記之」、同巻第十九には「弘安二年四月四日 於金剛峯寺信藝筆」の刊記にあるように鎌倉時代の建治3年(1277)から弘安2年(1279)にかけて版下が書写されて開版されたことが判明する。また、巻第二十も形態等から同時期のものと思われる。このように開版に関わる具体的な経緯が判明する事例は他にはみられず、彫成過程をうかがううえで興味深い。
 これを時代別にみると建治3年から弘安2年の当初の彫成になるものが279枚、南北朝時代・貞和5年(1349)の再刻版が38枚、桃山時代が15枚で、都合332枚を数える。
 加えて、弘法大師撰述になる『十巻章<じっかんしょう>』の『即身成仏義<そくしんじょうぶつぎ>』『声字実相義<しょうじじつそうぎ>』『吽字義<うんじぎ>』『弁顕密二経論<べんけんみつにきょうろん>』『秘蔵宝鑰<ひぞうほうやく>』『般若心経秘鍵<はんにゃしんぎょうひけん>』の6種50枚の鎌倉時代の板木の存在が確認された。
 この他、江戸時代開版の真言教義の注釈書『三教指帰文筆解和鈔<さんごうしいきぶんぴつかいわしょう>』、あるいは学匠聚勝<じゅしょう>が享保19年(1734)に撰述した『施餓鬼法修習用心集』や寺院運営に際して明治時代に開版された寺具版(『勧進記』『弘法大師御影』など)が一括現存していることが明らかとなった。
 このように中世から近世・近代に至るまで継続して開版された経緯、およびその伝来等から、わが国印刷文化史研究上に貴重であり一括保存するものである。

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