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塔の首遺跡

とうのくびいせき

概要

塔の首遺跡

とうのくびいせき

史跡 / 九州 / 長崎県

長崎県

対馬市上対馬町

指定年月日:19770217
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

S51-12-017[[塔]とう]の[[首]くび]遺跡.txt: 対馬の北端の港である比田勝の北にある古里集落の中にあり、上古里川の西に所在する丘陵の稜線上に存在する箱式石棺群からなる遺跡である。昭和46年、長崎県教育委員会が発掘調査した結果、4基の箱式石棺を発見した。
 第2号石棺は、稜線と直角に営まれた箱式石棺であり、板石を用い内法長さ1.5メートル、北の頭部幅0.45メートル、南の脚部幅0.3メートルをはかる棺をつくる。棺の北側壁の脚もとに添って土器が副葬され、別に1点の銅釧やガラス玉類が発見されている。
 第3号石棺は、第2号石棺と同様、稜線と直交して作られ、砂岩の板石材を多用し、敷石も配して整美な形態をとっている。石棺は内法の長さ1.75メートル、東の頭部幅0.4メートル、西の脚部幅0.35メートルを測り、巨大な扁平板石3枚で天井としている。棺内からは、両側壁に銅釧7(左腕4、右腕3)のほか、広鋒銅鉾が分けて置かれ、別に頭部に土器1、多数のガラス製小玉、管玉が副葬されており、極めて注目すべき重要な副葬品を持つものとして大きな論議をよんだ。
 第4号石棺は、最高所に所在する箱式石棺であり、稜線に直交して所在し、内法長さ1.95メートル、幅0.45メートルを測る。棺内中央から鏡1面、鉄斧1点、ガラス製小玉、土器等が副葬されていた。
 本遺跡を特色づける顕著な事実としては、朝鮮半島系の特色ある土器と、銅鉾のような北九州系の遺物が混然として副葬されている事実をはじめ、約8,000点を超すガラス製小玉の存在、珍しくも学術的に確認された広鋒銅鉾の副葬といった極めて重要な所見をもたらすことが指摘されるのである。
 いずれにせよ、対馬の弥生時代の諸遺跡の中でも重要な位置を占める遺物であるばかりでなく、日本・韓国間の交流の門戸としての対馬の位置を考える上に欠くことのできないものである。

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キーワード

/ メートル / 石棺 / 弥生

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